婚外子のニュースを見ながら思い出した修羅場。

叔母の夫が外に子供を作ってた。

叔母夫はその子(A)を認知して、養育費も出していた。

やがて叔母夫が病に倒れ、存命のうちに相続をまとめる事になった。

叔母は勿論、Aにはびた一文あげない、一切無視と言う姿勢。


弁護士が子供の相続権について色々話していたけど、叔母は

「認知は認めた。夫が時々会いにいくのも養育費も認めた。
でも相続だけはこちらの最後の砦、正妻と嫡子である証。
私達の支えの元に夫は生活できたのだし、あちらに養育費も支払う事が出来た。
あちらはおいしい蜜を吸っていただけ。
だから絶対に相続させない。」

という意見。

結局Aの家族は何も言ってこなくて、それで決まった。


しかし、私は知っている。

叔母夫を支えていたのはA一家だったという事を。

毎日の世話や仕事のサポート、完全に向こうが全部やっていた。

叔母はいわゆるお嬢様で、家事全般駄目でヒス持ちだった。

叔母夫は何度も離婚を申し入れたそうだけど、どんな条件を出しても叔母が絶対に認めなかったので無理だった。

やがて叔母夫はA母と家庭を持って、そちらに行きっぱなしになった。

それでも叔母は絶対に離婚しなかった。女の意地だって。

病気の説明の時も、叔母は叔母夫の既往症を何も知らなくて、A母が全部やっていた。

事実上、あっちが本当の家族になっていた。


私は叔母の子供二人と幼なじみとして育っているが、二人ともとにかく見栄っ張りの嘘つきで、金遣いがおかしかったので距離を置いていた。

Aの方は、実は、あるお稽古ごとが私と一緒だった。

自分達の立場を知らずに仲良くなった。

お互い全然別の場所から都心のお稽古場に通っていた。

私の方は名字が違うから向こうも気付かなかったんだろう。

Aは、良い奴だった。

私が絵の具を隠されて困っていた時は黙って自分の分を差し出してくれたし、物をなくした時は遅くまで残って一緒に探してくれた。

珍しい画材を探していた時も、知り合いのつてを当たってくれた。

とにかく与える事を惜しまない、もったいぶらない質の人間だった。

そしてAの母親も同じタイプの人だった。
でも、叔母の子がAと私の事を知って、叔母夫の差し金だろう、あんたはあっちと繋がっているね!ってスパイみたいに言われて親戚中から責められた。

私の両親も、ややこしいから出来たらお付き合いは避けたら…みたいな感じだった。

それ以来叔母一家から目の敵にされてあなたも将来二号になる、なんて言われた。

でも、逆に叔母夫とは少し話すようになった。

そんな頃、叔母夫が病気に倒れて、余命宣告。

若いから進行が早かった。

叔母夫が病院で亡くなって、相続は前述の通り叔母と叔母子が全部継いで、だけど叔母夫の遺言状に墓は要らない、骨はAに渡して欲しい、と。

叔母は何故か私を殴った。

襲いかかってきたって感じ。

その場にA一家はいなかった(頑として呼ばなかった)。

でも、元々実家一族の墓(超豪華)に入りたかった叔母は渋々それを了解、ひとしきり泣きわめいていた。


それから暫くして、私は美大でAと再会した。

元々希望校が一緒だったから、会うだろうとは思っていた。

A母とAと、叔母夫(以下A父)の墓参りに行った

樹木葬というやつで、木がお墓になっていた。奇麗だった。

既に飼っていた柴犬が一緒に眠っているそうだ。

A父が元気な頃から、家族で話し合ってこうしたそうだ。

そして、A父は美大を中退していた。

バイト先で社長令嬢の叔母に見初められて婚約が決まり、中退させられ、名門大学の経済学部に再入学していたそうだ。

A父はそれをAにもA母にも会社の人にも話さなかったけど、Aが何食わぬ感じで絵を描く人になっていくのが嬉しくて、Aの未来の学費分などは先にすべてA母に渡していたそうだ。

Aが入学したのはA父が中退した美大だった。

A父が無くなる直前にAに充てた手紙があって、

「幸せな結婚をして下さい」

と書いてあってなんか泣けた。

私が叔母だったら、見下していた婚外子が夫の希望していた進路についたなんて最も苛つくと思うけど、叔母はその辺のことはどうでもいいみたいだった。

父曰く、美大中退させた事を忘れているんじゃないかと。

叔母と叔母子は今でも私を見ると嫌がらせをしてくるし、周りもそれを見て見ぬ振りをする。

叔母は、傷付けられた被害者だから仕方ないんだって。

私は、叔母の人生はなんとも辻褄があっているんじゃないかと感じる。

こういうのを知ってしまったので、婚外子のニュースは微妙な気持ちで見ている。

叔母が悪いとは思ってない。A父が悪いと思う。

ただ、難しいなあと思う。

お金じゃなくて、感情の問題なんだろうから。

長文すみませんでした。フェイクあります。